ぽてぃろーです🐩
昨年弟が急死しました。
初めて近しい家族の死を体験し、体も心もとても背負えない悲しみとつらさに襲われて生きるのに必死な1年になりました。
弟が亡くなった日のことは記事にしています。
思い出すだけで心拍数が上がり頭痛がしますが忘れてはいけない感覚だとも思い、その日のうちに会ったことを含めて書き記しました。
あれからだいぶ元気になりましたが、とあることで気持ちが堕ちて眠れなくなってしまいました。
そのときにふと去年から今までどれだけ気力が戻ってきたかを確認するために1年前からのぽてを振り返ることにしました。
Xでポストしたものの引用です。
こういうことを考えたなと備忘したくて。
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昨11月から弟の月命日に手を合わせる時間ができてから回数を重ねるごとに元気が戻っていくのを感じ辞めようと考えた不動産はいくらかの縁で続けているどころか今は新築を考えあたふたしている。
人に会えたり話せたりの時間を持てるようにもなりそれによる悩みを抱いたときふと昨年の今頃を振り返る。
弟は去年2月、彼の誕生日直前に急死、過労死との診断に家族は傷つき親族や社員さんは自分を責める人までいた。誰もが弟のことを受け入れられずでも苺は毎日どんどんできるのでお客様の為に皆で必死に捌いた。私は金曜夜に帰省し日曜終電で戻る生活を3ヶ月続けた。
永代苺農家であることは揺るがないと思い込んでいたのでこうも簡単に人生がひっくり返ることが私達の身上に起きたことにも耐えられなかった。
気が緩むとどんな状況でも涙が止まらない日々を送った。本業取引先と話をしてるときにそうなったこともある。たまに眠れる日があって目が覚めると同時に涙が溢れる度に苦しくて息ができなくなる。
悲しみとは別に跡継ぎ問題という苦しみにも直面する。
何も口を出せない親族と見て見ぬふりをする妹。問題が深刻すぎて弁護士や道を極める茶道の先生にもアドバイスを貰い両親に私一人で最善の選択をするよう説得にかかるも聞かない。全く受け入れないので最後の手段で親子の縁を切る二択を提示すると私との縁切りを選択した。
私には家族丸ごといなくなった。
両親、特に父と私は仲が悪く母を昭和ド田舎の父が一番偉い主義に辟易して幼い頃から反抗してきた。1度目の離婚話の時には余りの言われぶりにあんたのことは物心ついたときから大嫌いだったと言い捨てて数年家に連絡も帰ることもしなかった。